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ジェイサチ日記

7/16

2025年07月16日
一正像末和讃一

自然法爾(じねんほうに)
Let it be. 

一ピカソ一  

私は捜し求めない。見出すのだ。
I do not seek, I find.

子供は誰でも芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。
Every child is an artist. The problem is how to remain an artist once he grows up.

芸術は日々の生活のほこりを、魂から洗い流してくれる。
Art washes away from the soul the dust of everyday life.

  自然、動植物との共存を考える

東京都知事は「明治神宮の樹木を2000本伐採し、高層ビルに変える」としている。 心に罪悪感が湧き出ないのだろうか。

そこで私たち人間と自然との共生を新たに考えてみた。

① 動植物にも魂

人類は40万-25万年前に誕生したとされ、その歴史のほとんどの期間、生態系と調和を保ってきた。今も南米の奥地や東南アジアの森林に生きる人々はこうした考えを受け継いでいる。動物や植物などが人間と同じように感情を持ち、精神に基づいて生きていると信じ、時には親族と同等の親しさを感じているという。

②受け継がれる倫理観

日本人にとってもなじみが薄い考えではない。自然物や自然現象を擬人化して崇拝、木や岩を神と思って信仰してきた。伝統的に信じられてきた八百万(やおよろず)の神は、いわば自然そのもの。こうした自然崇拝は広義にはアニミズムと呼ばれ、世界各地で受け継がれてきた倫理観と同じだ。

欧米流の経済発展を目指す以前、例えば江戸時代は、鎖国という閉じた環境の中でほぼ完全な循環社会を実現していたとされる。農地は毎年収穫できるように地力を維持、森林は植林した樹木が育つ以上には材木や燃料として切り出さないように管理、都市住民の排せつ物さえも肥料として利用するなどリサイクル・リユースが当たり前の循環型社会だった。

③動植物との対話

私たちが生きていく上で自然との循環はとても重要である。
カナタを旅した時に、バスガイドさんが言った言葉がいまでも心に残る.

カナダでは、木を1本伐採した時には、必ず2本の木を植えるのが規則となっているのです。

豊かな樹木、美しい紺碧の湖の中で、樹木との対話に時間を見つけたあの時の幸福感を今でも忘れない。

再び、都知事の「無知」に絶望感さえ抱く昨今でもある。
あの神宮の森の2000本の木の伐採‼️なんとか阻止せねばならぬ。
将来、生き抜く今の子供達のためにも、、、

再びレイチェル・カーソンの言葉を昨日に続き引用してみます。

科学者であろうが一般人であろうが、 地球の美しさや神秘に囲まれて暮らしている人なら誰でも、 孤独を感じたり、 人生に飽き飽きすることは決してない

この言葉は、自然とのつながりが私たちの心の安らぎや幸せにとってどれほど重要かを示しています。自然は私たちに多くの恵みや驚きを与えてくれますが、私たちはそれに気づいたり感謝したりすることが少ないかもしれません。

レイチェル・カーソンは、自然の美しさや神秘に目を向けることで、私たちは自分自身や他者との関係を深め、人生に意味や目的を見出すことができると伝えてくれています。