※保護者会 5月11日(日)一社校にて講演した内容です。
1978年の3月から、この塾を開いています。31年目になります。
この31年目にきまして、本当に今、日本のモラルと言うのがはじけています。新聞紙上を見て、生徒達に「新聞読んでね。」って言えなくなりました。非常に悲惨な事件がある。先日、松坂屋さんを歩いていました。娘と歩いてエスカレーターに乗ろうとして、目の置き場に、やり場に困りました。「どこの高校生、あなたは!」って、言いたいぐらいだったんですが、女子高生が短いスカートを履いて、5段上を上がっているだけで、下着は丸見えです。『見せてんの?』みたいな。もの凄く頭にきました。吐き気がしました。「どこの高校生なの?」って言うかなーって思ったんだけど、まず、自分の名前は名乗らないといけないし、こんなところでややこしい事止めておこうと思ったんですが、制服もわかりません、この頃はどこの高校生か。で、学校でもそれは注意して頂かないといけないけれども、出る時に、お母様達も注意なさる必要がある。これを放置しているご家庭もたくさんあって、それはもう『やり放題』っていう感じの子供達がたくさんいる中で、私共はやっぱり『きちっと教えていきたいなぁー』っていうのがあります。
大学、名古屋大学の工学部のある学科に行っていました。この子は、中学は公立中学です。そして、東海高校に行きました。東海高校で、『本当にみんな数学ができるんだなぁー』って驚いて、「自分が出来るって思っていた高慢さが消えた。」と言っていました。で、ドベだったそうです。で、そこから、B群にいって、「B群の授業というのは、非常にわかりやすかったです。僕にとってはB群って大好きでした。」そしてその子が、高3になった時に「医学部」とは言えなかった。で、先生が「名大の工学部っていったら、君はドベから這い上がってきたのだから、御の字だよ。」名大のその当時は工学部は、推薦がありましたので、「推薦あげるから。」という事で、センターは、90%ぐらい取って、名大の工学部に行きました。お父様が、その子の生活習慣を見て、がっくりきたんですね。このお父様は、お医者様です。こんなに勉強してきたのに、名古屋大学に入って油断してしまって、遊ぶは、車のことしか考えてないは、家ではゴロゴロだは。その子ですよ。『何のためにここまで生きてきたのか、一緒にきたのか。』奥様、テニスばっかりやってんですよ。それで、『何とか!』って、お父様が悩んだのです。偉いですよね、お母様はテニスばっかりやらせているのだから。『寛大だなぁー』って。私、そのお父さん大好きですけど。「先生。」って電話がありました。「どうしたの?」「息子の事で、一緒にお話ししたい。で、どうしても、うちの女房は知っているよね。テニスばっかです。」「うん、うん。」「だから、先生にちょっと聞いてもらいたい。どうも息子の心のちょっとしたところに、『医者になろうかな。でも、僕は工学部のこの何科に行って、ちょっと違ったかな?』って、迷いがあるような気がして、ダラダラしている気がするから、そのちょっとしたところを引き出してもらえないか。」これが9月でした。彼は大学1年生の9月です。で、ずーっと聞いていたら、『ああ、お父さんが邪魔だなぁー。』と思ったので、「お父さん、ちょっと席を外して、後は私と話してみます。ねえ、ねえ、代々、あなたのところはお医者さんだっていう事だけど、どう?お父さんの仕事。」「そうなのです。大学に入って、ずーっと父の後姿ばっかりを見てきたので、やっぱり医者だったかなぁーと思っている。」「そう。お父様、あなたがダラダラしているから、今日ここにお連れしたのだけど、何か『医者になってもいいな』とか『医者になるべきかな』とか、何かそんな光がある?」「1ミリだけあります。」って言うのです。
「後、3ヶ月しかないけど、先生のとこでだったらその光大きくして、医学部に入れる事ができると思う。あなたには、エネルギーがある。今からやり直しは出来るよ。でも、3年後やり直しったらきつくなるね。今だったらやれるよ。」また、その後、1週間後に電話が彼からありました。「さち子先生、大学を辞めてきました。」この時に、その当時の名古屋大学の工学部のその学科は、大騒ぎになったそうです。なぜかと言うと、第二志望、第三志望で入っていって、本当は医学部に行きたかった子がたくさんいるのに、そこを甘んじて違うところに行って、悶々としている子がたくさんいた。で、そのY君は辞めてきた。それに賛同した子供達がたくさんいる。しかし、行動はでなかった。なぜなら私も彼は仮面浪人で来ると思ったんです。スパッと辞めてきた。「どうして?」「先生、仮面浪人なんて、名古屋大学の先生に失礼だよね。」「そりゃあ、そうだね。そりゃあ、失礼だわ。うん、失礼だね。」「僕はそういう生き方はしたくない。だから、頑張る。辞めてきました。」「で、周りは、どう言ってた?」「凄いなぁー。おまえ、勇気あるなぁー。」って。「やりたいけど、僕達はできないから、仮面浪人で5年、6年、名大の大学院まで出てくわ。」と言っていた。これが現実にあるんですね。
これはなぜ、こんな話になったかと言うと、ある予備校生でその子のコンプレックスはクラスの何十人かが現役で入って、10人しか浪人じゃなかった。その中に自分ひとりが入った。「これはコンプレックスだ。」って言うのですね。私はとっても不思議だと思った。だって、「その中に、第一志望受かったのは何人いるの?第二志望は何人なの?嫌々行ったのは何人?話にならん、そんな数字だけで。」って。本当にみんなが生き生き大学に行ったら、それでよし。しかし、嫌々行っているのだったら、という事で、このY君の話をしたのです。だから、人間っていうのは、ネガティブに捉えようと思ったら、いっぱい捉えて、自分をダメにしていく。ポジティブに捉えようと思ったら、全部ポジティブにして自分の糧になるんです。彼は、10、11、12、3ヶ月半勉強して、見事に名大の医学部を射止めました。今もうすでに、ある市民病院に勤務しておられます。その子の決断、これはお母様、お父様の瞬間、瞬間の決断、子供達の瞬間、瞬間の光、それを消してしまうのか、灯してするのかっていうのは、本当に後ろに目がないと見えないのです。
いみじくも、文芸春秋の5月号で藤原正彦教授も同じ事を書いておられました。『感動する心も必要だよ。そして、執着心が必要。それから、負けん気。これは大事』これが今の子供達にも少なくなっている。お父様、お母様達も『まあ、このぐらいでいいか。』今日はいらっしゃっている方達は、大丈夫だと思いますが、いらっしゃってらっしゃらない方達、何かの理由で、このお話を聴くきっかけを失った人々には、『もう子供はこんなもんかぁー。』って諦めている方がいたら、これは間違いだと思います。いつの世にでも人間っていうのは伸びていくのです。いみじくもこの頃、川島隆太さんもそうですが、茂木健一郎さんもこう言っています。『脳って、60歳になっても、どんどんと活性化されるんだよ。』うん、だから、やっぱり、『脳が喜ぶことをしていきたいな』と思った母の日の朝です。
・・・>次回へ続く
